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光医療、再生医療の実現を目指して
光医療、再生医療についてのトピックスを中心に、21世紀の医療、健康管理、グローバル化における日本人のあり方について私見を表明する。
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終戦記念日を知ってますか?
2008円8月15日(金)                            晴れ、極暑

63年前のことを覚えていますか?


63年前の8月15日は集団疎開で長野の大屋から入った公会堂に集まっていました。当時、国民学校の3年生。暑い日で意味不明の放送を聴かされ、面列の先生方が泣き始めたので、何かあったのだとは判りましたが、戦争が終わったのだとは、放送が終わってから先生に聞きました。15日の情景ははっきり覚えています。元日本軍兵士の話を聞く機会があると、積極的に当時のことを聞きますが、皆さん、苦しかったこと、悲しかったこと、良く覚えておられます。戦争体験者が異口同音に言われたことは、戦争の理不尽さ、国家の身勝手さで、身勝手な国家政策により亡くなった兵士、非戦闘員合わせて310万人の方の無念さは、想像できます。近隣諸国では数1000万人の方が泣くなりました。

元兵士が無念だと言われたいたことは、

1.兵器が充分に無かったこと。特に、満州に行かれた方は、ソ連軍は絶対に攻めてこないから、武器を南方に回せという上からの命令で、武器を供出したら、突然、ソ連軍が参戦し、武器なしで戦えないので、逃げ惑うしかなかった。
2.士官以上にはソ連軍参戦の情報は入っていたらしく、士官の家族などは、ソ連軍参戦以前に特別列車で逃げた。
別の、ノモンハン事件に参戦した元兵士は、陸軍、参謀本部の握っていたソ連軍の戦力情報は日露戦争当時のもので、ソ連軍に機関銃や、大型の戦車があるなど知らなかった。ソ連軍と戦ってコテンパンにやっつけられた報告を参謀本部にすると、そんなはずは無いと参謀が東京から飛んで来た。
前線の見張り台に案内すると双眼鏡でソ連軍の装備を見て腰を抜かし、この情報は極秘にするように言い残し、東京に帰った。その後、なんの音沙汰も無く、中国との戦争に突入した。
このような生の体験談を聞くと、全く今の日本は当時と変わっていないと思われてなりません。
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テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

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MIKE

Author:MIKE
株式会社グリーン・メデイカル・システムズ 代表取締役、国際マーケテイングコンサルタント
日本アルメニア科学・文化・教育協会(JASEC)理事長
日本LPL療法普及協会 事務局長
アルメニアEJ大学 名誉教授

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