光医療の実現を目指して
光医療についてのトピックスを中心に、21世紀の医療、健康管理、グローバル化における日本人のあり方について私見を表明する。
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ツボを可視化して光の変化でガンの早期診断ができる!

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富士ジューサーブームの原因が判りました。
2012年2月28日

昭和36年2月、週間朝日のグラビアで、当時の社会党の書記長、江田三郎氏の健康法として、ジューサーで作った野菜、果物のミックスジュースが健康法の秘密として紹介されました。メーカー名は明かされていなかったのですが、当時、電気製品としてジューサーを製造、販売していたのは富士電機製造株式会社だけだったので、富士電機の全国の販売店に問い合わせが殺到し、製品在庫は瞬く間に無くなりました。当時、ジューサーの製造は三重工場で月産500台でしたが、社長命令で大増産が開始され、8月の生産数は10万台を越えました。富士電機は家庭メーカーとしては後発でしたが、これを千載一遇のチャンスとして捉え、これを一時のブームでなく、永続性のある需要開拓のため、新聞、テレビなどの宣伝媒体による広告、ジューサーカーを全国に派遣して実演販売を行い、ジューサー友の会を作り、全国でジューサーのPRと、何故、新鮮な野菜ジュースが健康に良いのかという演題の学術講演会を開催しました。
当時、ジューサーの健康改善効果の源は、新鮮なビタミンCであるとしてPRを行い、当時の健康志向傾向をキャッチし、数年にわたり打ち上げを伸ばしましたが、本当の原因は、免疫力を強化する“ファイトケミカル”でした。

最近、Dr.ジョエル・ファーマン著の“100歳まで病気にならないスーパー免疫力”という本が出版されましたが、その本によると、スーパー免疫力はファイトケミカルの摂取から生まれ、ファイトケミカルとは、ヒトの健康と免疫力に重大な影響をもたらす、何千という植物由来の微量栄養素群のことで、代表的な植物は、緑色野菜、キノコ類、玉ねぎ、ザクロ、ベリー、種子類とされています。緑色野菜の代表例は、アブラナ科野菜(ルッコラ、キャベツ、カリフラワー、ケール、からし菜、カブ、クレソン、白菜、大根、小松菜、ワサビ)です。アブラナ科の野菜には、硫黄含有化合物(辛味のもと)が含まれ、細胞膜が壊れると、化学反応を起こしてイソチオシアネート類(ITC)に変換される。ITCには強力な免疫強化作用と抗ガン作用があることが科学的に照明されていると紹介しています。

昔は優秀なリーダーがいました。昭和36年にジューサーブームが起こった頃、これらのことは全く知られていませんでした。
しかし、江田書記長は、ジューサーでキャベツ、人参、りんごをミックスした野菜ジュースを飲み、健康維持、改善に効果があることを実感していたことと思います。この記事を見てジューサーを購入し、ジューサー健康法を実践した方々も、ファイトケミカルそのものの野菜ジュースを飲み、健康が増進し、なかにはガンが治った人もいたのでしょう。ジューサーブームが起こった背景には、当時は未解明な科学的根拠があったのでした。

当時、私はジューサーの担当者で入社1年目の新人でしたが、ジューサーブームが起こるや、当時の商品部長、課長、係長が集まった会議に呼ばれ、“ジューサープロジェクトチームを結成し、君をプロジェクトリーダーに任命する。われわれが責任を持つから、メンバーの選定、新製品開発、生産計画、宣伝計画、販売促進計画など、君の考えでプランをつくり、やりたいように思い切ってやってくれ。これからは若い者の時代だ”と言われました。
昭和36年4月になり新入社員が入って来ると、大卒1名、高卒1名、女性1名が部下として配属され、販売促進費だけでも年間1億円が予算化されました。上の命令は、ジューサーブームを一過性の物にせず、ジューサーを主力製品にしろということでしたので、マーケテイングの本を片っ端から読み、本社と工場を足しげく往復し、全国の営業所を飛び回り、自分の全能力を擧げてジューサーに打ち込みました。大変貴重な経験をさせて貰いました。現在でも健康がらみの仕事をしていましが、その素地は当時に培われたものだと思います。
今の時代に当時を振り返って見ると、昭和の36年の時代には、富士電機だけではなく、政界、官界、民間の各界に優秀なリーダーが多数いて、自分が全責任を取るから、お前達のやり方で全力を擧げてやれと若手に命じて日本を発展させたのだと痛感します。昭和36年、政界は、総理大臣池田勇人、第2次池田内閣の時代で、高度成長が始まった時代でもありました。
現在、日本国は多くの問題を抱え、リーダー不在が叫ばれていますが、原因は何か、考えてみました。
1. 沖縄問題―本日、野田総理が沖縄へ行き、仲井知事に謝罪したそうですが、一旦収まっていた普天間基地移転問題を引っかき回し、混乱させた責任の所在は、誰が見ても、鳩山元総理でしょう。国家間の合意事項を政権が変わったから変更できると考える事は、大学で国際法を学ばなくとも、一政治家としての最低の基本常識だと思うのですが、それが、そのような基本的な政治家としての常識を持たない総理大臣が誕生するところに、沖縄問題だけではない、日本国の問題があります。
2. 少子化、人口減少、年金破綻問題―50年後に日本の人口が8千万を切るといって騒いでいますが、このような事は、20年、30年前に予測できたことで、当時に手を打っておけば、現在の問題は無かったことです。高度成長の時代、好景気が永遠に続く、少子化現象は起こらない、年金の破綻は起こらない、原発に事故は発生しない、大地震は起こらない、地球温暖化は起こらないなど、全て、楽観的に考え、将来への備えを怠ったツケが来ているわけです。
3. 若者の植物化問題―若い男性の精子の数が減少していることは、大分前から言われていました。女性の卵子も加齢することも前から知られていました。精子の数が減少するということは男性ホルモンの分泌が減少していることの結果でしょうから、若い男性の性欲が低下し、異性に対する関心が低下し、自分の子孫を残そうという本能が低下していることは明らかです。男性の生存本能が低下しても女性の母性本能が低下しなければ、いくらでも子孫は増やせるわけで、人口問題は発生しません。社会制度を変えて、女性が安心して子供を産み、育てられる環境を整えてやればいいわけです。要は、日本本来の太古の時代の風習(卑弥呼は女性でした)を制度化すれば、少子化、人口減少、年金問題は一挙に解決します。男性の精子は加齢しませんから、中高年に頑張って貰えばいいでしょう。
      富士電機ジューサーbb
    

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2012年は改革元年

2011年は、多難な年であったことはどなたも同意されるでしょう。
3.11の地震、津波、福島原発の事故には驚きましたが、日本政府の迷走振りにはつくづくいやになりました。お亡くなりなった方、大切な家族を失った方、地震、津波で家や財産を無くされた方々には心から同情申し上げます。とくに被災地は寒冷の地ですから、雪や寒さで健康を害されないようお祈り申しあげます。

私事では、6月から7月にかけてサイバー攻撃に会い、PCの中見を盗まれ、それを基に立案されたインターネット詐欺にあい、日頃の油断と判断力の低下を思い知らされました。詳細はいずれご報告したいと思いますが、プロの手口には舌を巻きました。世間では電話でのオレオレ詐欺が後を絶たず、商品、投資をネタにした詐欺も横行しており、全く油断のならない世の中になったものだと、嘆いておりましたが、自分も引っかかるとは思っておりませんでした。高い出費になりましたが、東北の被災者の方に比べれば、まだ幸せだと思っております。

次の災厄は、8月25日に、我が家のシェルテイー犬最後のメンバー、モニカが13才1箇月で亡くなったことでした。もう2-3年は生きて欲しかったと嘆きましたが、後の祭りです。責任は飼い主にあります。一緒に生まれたノエルが、2008年2月25日にガンで亡くなったのもショックでしたが、モニカは、当時は健康であったものが、注意をノエルの看病に取られ、運動不足になったため、体重過多(正常が12―3kgが16kg)になり、その結果、心臓肥大症になってしまいました。体重を減らそうと、色々とダイエットを試みましたが、ねだられるとついオヤツを上げてしまい、常時、心臓病の薬を飲む結果になりました。亡くなった当日は、4日前から足がフラフラしてまともに歩けなくなり、動物病院で診てもらうと、前頭葉障害という診断で、点滴をすれば良くなるということで3日間の点滴の最終日で、夕方迎えに行き、殆ど良くなって帰って来たあと、暫くしておかしくなりましたが、点滴で帰って来たばかりなので、点滴の影響であろう。朝になれば良くなるだろうというのが判断ミスでした。実際は心臓発作で、直ぐ救急病院に連れて行けば助かったかもしれないと悔やまれました。

(今年の課題)
頑ばれ日本
昨年の大震災、民主党政権の低迷ぶりで、日本は思い切り落ち込みました。年末、年始の新聞、テレビは震災の回顧録と日本の将来についての課題論議でにぎやかでしたが、今年の明るい材料はなんだったでしょうか。アトランダムに上げると次のようなものです。
1. 橋本市長が掲げる地方から日本を変える運動。ブレインに堺屋太一、古賀さんがついているので、何かやってくれるような気がします。東京都の石原知事、名古屋の河村市長との共同運動で、他の地方都市に波及する可能性も大で、成功するだとうという期待感が日本を明るくします。
2. 東北の被災地の復興がままならず、失業している方の再就職が困難であるとい報道の反面、復興需要で仙台の国分町は復興ブーム、という報道もありました。歓楽街のお客は関西の電気工事業者、土木工事業者が多いそうで、金が周り始めたことはいいことです。只、既得権益で、特定の業者が大金を稼ぐのは防ぎたいものです。
3. 若い世代が変わり始めたという報道もありました。震災で、家族の絆、人と人の繋がりの重要性に目覚めたという話で、欧米の若者のように火がつけば、将来に期待が持てます。
4. NHKのサイエンス番組で、日本近海の海底には、金、銀、レアメタルの鉱脈が豊富にあり、10年、20年先には、日本は資源大国になるとう報道もありました。

日本改革のためには
5. 野田総理大臣は消費税の導入に政治生命を賭けると言ってましたが、さすがに、その前にやるべきことがあるだろうとう世論に押され、最近ではトーンが変わって来ました。野田総理大臣は、財務省の計画を代弁しているそうですが、財務省の役人はそんなに世間知らずなのでしょうか。議員定数の削減、議員歳費のカット、国家公務員の給与カット、人員削減、天下りの為に作り上げた各種団体の整理、各種規制の思い切った緩和――――日本再生のために必要な改革は一刻の猶予もありません。日本の経済の成長が過去20年間止まり、少子高齢化社会の歪が表面化し、赤字財政が継続して国債の発行残高が急増し、医療福祉費が確実に伸びて、国家財政を圧迫するようになった原因は誰の目にも明らかです。一言で言えば国家の放漫経営の結果で、全ての責任は、権力を一手に握っていた霞ヶ関の役人にあります。問題が明らかになっても誰も責任を取らない、無責任な国民性、国家の発展、国民の幸福よりも自分自身の栄華、利益を追求する利己主義の蔓延にあります。
6. 思い切った規制緩和が必要です。日本の若者が将来に対する夢を持てず、就職は大企業、公務員を希望し、晩婚または独身を選び、結婚しても少子又は子供を持たない理由は、独立起業を支援するシステムが無いことです。アメリカのアップル、マイクロソフト、グーグル、ヤフーなどのIT起業は若者が起業し、ベンチャー投資家が支援して急成長したものです。日本では逆に、種々の古色騒然たる規制が存在し、新しい芽を積むことになっています。政府の支援は既存のコネを通じて大きな組織に行ってしまい、若者の支援には廻りません。
7. 日本は外圧が無いと変わらないというのが歴史的定説ですが、原因は二つあり、一つはリーダー(総理大臣、大臣、政治家)にビジョンが欠けていることと、全てを官僚システムが仕切っていることです。官僚システムは自己増殖をしてシステムコストをどんどん増大させますが、縮小することは有り得ません。強力なリーダーの指導力が無いと改革、改善、小さく効率的な政府、行政システムは期待できません。TPPは時代の流れで、強力に推進することが、日本国の生き残りになることは明らかです。何故なら、日本の最大の問題は、収入と支出のバランスが取れないことで、世界一高いリビングコストと個人収入の延び悩みで、消費が伸び悩んでおり、最大の要因は、デフレ(企業収入の伸び悩みと消費の伸び悩みによる価格低下)にあることは明らかです。もし、お米の関税がゼロになれば、カルフォルニアのコシヒカリが10kg800円で購入できるようになるだけで、低所得者層の生活は格段に楽になるでしょう。農業は補助金を出して近代化し、農協を廃止して流通経路を短縮するだけで十分な競争力が生まれ、若者にとっても魅力的な起業分野になります。
医療コストの増大が問題視されていますが、老人が増えるから医療費が増えるのではありません。日本の医療は薬が頼りで、その薬の価格そのものが、海外の2-3倍するというのが実態です。薬事法による承認システムが過大な規制を強いている結果、薬事承認に膨大なコストがかかるため、患者数の少ない難病の治療薬の開発は行われず、新薬は海外で承認されているものでも再度、日本での治験が要求されるため、海外の大製薬会社は日本市場での発売を見合わせているのが現状です。TPP交渉で米国が強力に日本の治験制度の改善を求めて来るのが、唯一の希望というのも情けない話です。老人の病院通いの最大の理由の一つは、膝、肩関節痛、筋肉痛ですが、これらの痛みは初期にレーザ治療をすれば簡単に治癒できる疾患で、筆者が主張している100mw以下の低出力レーザを健康器具扱いにすれば、殆どは家庭で治療可能で
主体的な健康増進になり、トータルでは大きなコスト削減になります。
8 消費税増税で中小企業はバタバタ倒れる
消費税ありきの国会論議をしていますが、消費税を上げて一番影響を受けるのは中小企業であることはあまり報道されておりません。現在、年間1千万円以上の売上高のある企業には消費税の支払い義務がありますが、例えば、製造業では、下請け企業が親企業に納品する部品に掛かります。現在の円高の折、親企業は易易と税額のアップ分を飲むとは到底考えられません。当然、コストダウンにより吸収せよというでしょう。下請け企業はコストをギリギリ切り詰めていますから、その分は利益を削るか、人件費をカットすることになるか、もう仕事は諦めるかです。―――日本破滅の最短施策です。マスコミは街頭で、消費税に対するアンケート調査で、主婦やサラリーマンに対する質問で、東北大震災の折から、国民全体で、日本再建の為の支出を負担するのはやむを得ないというような回答を引き出して報道していますが、これは、太平洋戦争勃発前の国民総動員の為のマスコミを使用した洗脳作戦と全く同じ、日本破滅のための謀略です。
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画期的な再発ガン、転移ガン診断装置と新ガン治療薬
2011年12月2日(金)

12月2日(金)A氏に会いアルメニア旅行の話を聞いた。

A氏は、11月中旬、に奥さんとアルメニアを10日間訪問した。旅行の目的は、奥さんのガン再発の可能性の診断とガンが見つかった場合の治療で、アルメニア国立医科大学、大学院教授で、American-Armenian Health Development Center長のミナスヤン博士が発明した再発ガン、転移ガンを普通のCT、MRIで診断可能になる2年前に発見できる、ツボ表示診断装置の診断を受け、多数の再発ガン、転移ガンが見つかったので、マイクロ波治療と新ガン治療薬の治療を受け帰国した。

再発ガン、転移ガン治療の難しさを解決したシステム

ガン細胞は非常に賢く、一度、抗ガン剤治療、放射線治療を受けると、生き残ったガン細胞は防御バリアーを構築し、再度の攻撃に備える為、ガンが再発、転移した場合には、治療が非常に難しくなってしまう。ミナスヤン博士が開発した診断システムと治療システムは、ガン細胞の生理学的特徴を捉えたもので、ガンが休眠状態である場合を除き、活動している限りは、ガン細胞の存在を特定し、ガンを死滅させるシステムで、世界でも類が無い。

ツボ表示診断装置とは

発明者のミナスヤン博士によると、東洋医学で鍼灸治療に使われているツボと経絡には、ある周波数のエネルギーが流れており、その波長に同調する電磁波を人体に照射すると、暗室で見ると、経絡は淡い光の線として、ツボは淡い光の点滅する光の点として表示される。ところが、ガンが発生すると、発生箇所の臓器に該当するツボの光が明るく輝き、点滅を停止する。この輝く点が3箇所固まって表示された場合、ガンが発生していう可能性が非常に高い。ガンは活発に細胞分裂をして増殖するので、エネルギーが集中する。このエネルギーの集中が新装置では輝く光の点として表示される。
このツボの位置にマイクロ波を照射すると、ツボを経由してガン細胞のエネルギーが拡散し、ガン細胞は消滅する。同時に輝いていたツボの光点は輝きを失い、淡い点滅の光に戻る。ガン発生箇所が少数の場合、この治療法でガン細胞を消滅させることができる。

新ガン治療薬とは

多数の転移ガンが発生している場合、ガンの発生はツボ表示装置で診断出来るが、ツボにマイクロ波を照射する方法では追いつかない。その場合は、ガンが成長する際、普通の細胞の100倍のビタミンB12を吸収する特性を利用し、患者に放射性コバルトを組み込んだビタミンB12を経口で摂取させる。ガン細胞は専らB12を吸収し、コバルトの放射線がガン細胞を内部から破壊する(アルメニア、ドイツ、ロシアの3研究所の共同開発の精華)。
A夫人もこの新薬の治療を1週間受け、帰国の際、4月分の新薬と新薬を補助する薬を持って帰国した。

A夫人の発病経過と症状とは?

A夫人は68才。4年前に膀胱がんが見つかり、大学病院で内視鏡による摘出手術を受けた。その後、3回、膀胱ガンが再発し、内視鏡による摘出手術を受けた。2回目の再発の際には、左の腎臓近くの尿管にがんの転移が見つかり、左の腎臓と共に摘出手術を受けた。腎臓の組織検査の結果、上皮ガンが発見された。その後、1回、膀胱ガンが見つかり内視鏡による摘出手術を受けたが、その後は3月毎に検査を受けているが、異常は見つかっていない。しかし、本人は再発するのではないかと不安でならない、腎臓を摘出したせいか疲れやすいなどの主訴があったので、ある会合で私の話を聞いたA氏が、奥さんを連れてアルメニアを訪問し、ミナスヤン博士の診断と治療を受けることを決断し、実現したもの。ミナスヤン博士の治療を受けるのは、日本人で3人目となった。

ミナスヤン博士の診断、治療結果は?

アルメニアを訪問する前に大学病院で受けた検査(内視鏡、CT、血液検査)の結果では、異常なしであったが、ミナスヤン博士の新装置による診断では、転移ガンが多数見つかり、マイクロ波によるツボ照射治療と、新ガン治療薬の経口摂取の治療を1週間受けた。博士の治療後の診断では、取り敢えず、活動しているガン細胞は絶滅できたが、休眠している転移ガンは活動していないので、新装置でも発見できず、新ガン治療薬も働かない。今後、定期的に検査を行い、ガン細胞が発見された場合には、マイクロ波によるツボ照射治療と新ガン治療薬の経口摂取治療を繰り返せば、無期限に延命は可能というコメントであった。

追記;ミナスヤン博士がツボ表示装置の研究を始めたのは、博士が国立医科大学を卒業して直ぐで、40年間の研究の成果とのことである。研究期間中、多くの医師、エレクトロニクスの専門家からのアドバイ氏、支援を受けた成果とのことである。5年程前、博士より念願の装置が完成したので日本で売れないだろうかとの問い合わせがあったが、日本の医者はツボについては殆ど関心を持っていないし、アメリカやヨーロッパ(ドイツ)の医療器械でないと信用しないので無理であろうと回答した。特に念頭にあったのは、厚生労働省の薬事承認が困難である(新製品扱いになり、治験に時間と費用がかかる)という判断であった。
現在、韓国の一社と中国の数社が、全世界市場に対する独占的製造、販売権を求めており、近く交渉を開始するとの事である。韓国の一社はグローバルに販売している大メーカーであるので、日本がTPP条約に加盟すれば、日本にも入ってくる可能性は高い。それ迄は、アルメニアに行き、診断を受ける以外には方法がない。逆に言えば、アルメニアに行けば、誰でも博士の診断、治療が受けられる。便利な世の中になったものである。

       ツボ表示診断装置
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KYOTO2011
2011年11月23日(水)より25(金)日まで家内と、京都に紅葉の写真を撮りに行った。宿泊は新都ホテル、一泊16,000円/人。新幹線は10時2分発ののぞみN700系。京都に12時半に着き、荷物をホテルにあずけ、バスの一日券を買い園光寺へ行く。NHKが紅葉の穴場と報道しただけあり、見事なもの。バスで銀閣寺通り迄行き、銀閣寺は人で一杯なので諦め、哲学の道を歩いて永観堂へ向かう。途中で日が暮れたので、南禅寺の天授庵のライトアップの列に並び、見事な紅葉を見て、ホテルに地下鉄で帰る。夕食は京都駅の地下街でお寿司を食べた。24日は公園の友達に勧められた西山へ行った。京都駅から東海道線で向日町へ行き、バスで善峰寺へ向かう。バスは一時間に一本。確かに穴場だが、寺までの道は山道で、大変だが、紅葉は素晴らしい。奥の院まで上がると、京都、大阪まで見える絶景。もう一箇所の穴場、勝持寺にタクシーで行く。ここの紅葉も素晴らしい。人も少なくゆっくり紅葉を楽しんだ。タクシーで駅へ戻り、京都駅へ。ホテルで夕方まで休み、5時近くから永観堂のライトアップを見に行く。一番の人気スポットだけあり長蛇の列。ライトアップは見事だが、人は多い。有名な多宝塔は遠くにあるので、フイルム(デジタルだが)の感度をASA3200に上げ、F4.5、20/1秒で撮影した。周囲の人たちが撮れない、シャッターが降りないと騒いているのを聞き、気持ちが良かった。地下鉄で京都駅へ戻り、トンカツで夕食。熱燗が美味しかった。25日はチェックアウトをして、ホテルに荷物をあずけ、バスで金閣寺、龍安寺、仁和寺寺へ行った。流石に世界遺産に指定されているだけあり、見事なもの。京都が世界的な観光都市であることを実感した。新幹線は19時2分発ののぞみ。東京に21時23分に着き、22時半に帰宅した。N700系は振動も少なく、快適に走る。世界一の技術であろう。日本が観光で外貨をもっと稼ぎ、技術もどんどん輸出できる国であることを実感した旅であった。来年も京都へ行こうと決めた。良い3日間の紅葉を楽しむ旅であった。日本国内旅行を見直した。当分は国内旅行に行こうと決めた。
       
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                    善峰寺

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                  永観堂の多宝塔

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                   金閣寺の池

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                       園光寺
モニカは昇天しました
2011年8月25日(木)                         晴れ

モニカは昨日の朝、7時半に息を引き取りましたが、昨日、今日と沢山の方のご弔問を戴き、誠に有難うございました。モニカのお父さん、モニカが好きだった玄関の上がり口に祭壇を作り、皆様にお線香を上げて戴きましたが、献花を沢山の方にいただき、花に囲まれた形で、最後の別れを惜しみました。

ノエルが2008年2月25日に亡くなった際、S先生にお願いしてお教をあげて戴きましたが、読経中に、デイックが若い頃の真っ白な胸毛の姿で天から降り、ノエルを連れて昇天したと教えて戴きました。 今回は、S先生のお教のCDを掛けてともらいました。 デイックとノエルの魂が揃って天から降りて、モニカを連れて天に登ったことと察します。 

シェルテイー犬3匹との生活は充実した日々で、人生で最高の時期でした。3匹は全て昇天し、寂しい気は当然しますが、又、新たな気持ちで最先端の医療を紹介し、一人でも多くの方に希望を与えることができるよう努力してゆくつもりです。

モニカは居なくなりましたが、”公園にはいらっしゃいよ”という助言を受けて、25日の夕方、26日の朝、家内と二人で散歩にゆきました。犬を連れた方に会うと、怪訝な顔をします。犬はどうしたのですかという問いかけです。25日の朝、亡くなりましたと答えると、皆さん、エーとびっくりします。そこで、カクカクシカジカと経過を説明することになります。なるほど、あの乳母車が皆さんの脳裏に焼き付いていたのだと、再確認しました。
当分、説明散歩が続きそうです。
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モニカが亡くなりました
2011年8月24日(水)                         晴れ

モニカは7月30日に13歳の誕生日を迎え、今年の夏を乗り切れば15歳ぐらいまで健在で居てくれるかなと期待しておりましたが、今朝、7時半に息を引き取りました。

先週の金曜日の夕方の散歩で、足がもつれ、へたるように座って歩けなくなったので、行きつけの動物病院に直行しました。獣医の先生は、目を見て、目がふらついているので、前頭葉症候群であろうという診断で、注射をしてもらい、翌日、見せて欲しいとのことでしたので、連れて行くと、点滴をしましようということで、土曜、日曜と点滴をしました。月曜日は病院が休みでしたので、飲み薬で様子をみてましたが、大夫、症状が収まり、食欲も出て来たので、これで大丈夫かなという感じで、昨日、連れて行き、今回の点滴でもう大丈夫でしょうという診断でした。夕方、迎えに行き、公園でトイレをさせ、帰宅しましたが、家の中に入っても落ち着かず、立ったり座ったり、息もハーハと苦しそうなので、薬を飲ませ、教えて貰った頭のてっぺんと、耳の後ろにレーザーを照射しましたが、症状は変わりませんでした。夜は心配なので、家内が下に寝て、様子を見てました。6時半頃起きて、モニカの様子を見ると、ぐったりした状態なので、又、動物病院に連れて行こうと話をしておりましたが、7時半頃、息子が起きて来て、様子を見ようとすると、家内が息をしていないよと声を出したので、見ると、完全に息を引き取った状態でした。

月曜日、火曜日の朝は大夫良くなり、これで大丈夫と思っていたので、あっけに取られた感じでした。デイックの子供の生き残りの一匹でしたので、父親、姉のノエルの分も長生きして欲しいと願っていたのに、足を掬われた感じて全く残念な限りです。昨日の夜、救急病院に連れてゆけば良かったのかなという悔いは残りましたが、行きつけの動物病院の院長の話では、心臓肥大が進行していたので、救命は難しかったろうとの言葉が唯一の救いでした。
         2011.7.30のモニカ

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モニカが13歳になりました。
2001年7月31日(日)                    雨

シェルテイー犬を飼い始めて30年になります。最初はメスのセーブル、荻窪の犬屋で見つけ、子供達の情操教育にも役立つためというのは建前で、犬を自分で飼ってみたかったからです。母が猫を好いていたので、当家には猫がいつも飼われており、特に、戦後直後は、ネズミが急増し、猫の助けが必要でしたので、母は、長谷川一夫の奥さんと乳兄弟であったので、一夫のに行き、赤白の子猫、メス、ミー公をもらってきました。この猫はネズミ捕りの名人で、大人になるや当家のネズミを全て退治、近隣にも貸し出して、ネズミ退治に大活躍しました。
とても賢い猫で、子供も皆、賢かったので、生まれた子供は瞬く間に、貰い手に引き取られていました。13歳で亡くなりましたが、それまで全く健康でした。

何十年振りに動物を飼うようになり、選んだシェルテイーは、グレースケリーの名前を貰い、ケリーという名前を付けて買い始めましたが、とんでもないいたずらもので、椅子、机、階段、スリッパなど、留守中に咬み砕き、家の中は傷だらけになりましたが、基本的には非常に利口で、家族の一員となり、家内の実家、旅行など、どこにでも同行し、楽しい生活の一部になっていました。身体も丈夫で、せっかくだから一度、子供を生ましてみたいということになり、犬屋に頼んで掛け合わせて貰い、一度目はだめでしたが、2度目に成功し、7匹の子供を産み、お産の始末、子育ても問題なく、全ての子犬がもらわれていきました。

ところが、犬にとって時間の経つスピードは早く、平成3年、子宮嚢腫を患った後、みるみる体力が衰え、亡くなりました。一家の嘆きはたいへんなもので、子供達はおばあちゃんが亡くなったよりも悲しい、もう当分、犬は飼いたくないというものでした。しかし私は、やはり犬の居ない生活は耐え難く、ケリーがお世話になっていた動物病院に相談すると、ケリーを見てシェルテイーのブリーダーを始めた方が、ケリーの飼い主の方であれば、輸入したアメリカチャンピオンの子供が生まれたばかりなので、良かったら、譲りますというので、早速、見に行き、今度はオスを飼ってみようということで、連れて帰りました。子供たちは、お父さんは冷たい、まだ、ケリーが死んで半年も経っていないといいましたが、たちまち、子犬の魅力に負けて、当家の中心になり、デイックという名前を貰いました。

デイックはアメリカチャンピオンの子供だけあって極めて利口な犬で、輪くぐり、フリスピーをたちまち覚え、見るからにハンサムで、喧嘩も強い犬で、正に、雄犬というものは」こういうものかと感心されました。13年前、丁度、家内の姉が亡くなり、次男が司法試験に合格して研修所に入った年で、何か祈念を残したいと思っていたところ、近くの床屋さんがシェルテーを2匹飼っており、もし、子犬が欲しいのであてば、どちらでも、デイックが気に入った方を貸すよ。その代わり、生まれた子供の処置、お産の際の面倒など、全て見てくれというので、思い切って、娘の方のメス、レデイーを借りてきましたら、丁度、時期だったらしく、妊娠し、7月30日の夜中に生まれたのが、2008年に亡くなったノエルと昨日、誕生日を迎えたモニカです。

お産の際は、ノエルは親が面倒をみず、私が袋を破り、へその緒を糸で結び、息をしないのでタオルでマッサージをしてようやく息をするようになり、やれやれでしたが、モニカの方は、親が袋を噛みやぶり、舌で舐めるとすぐ呼吸を始め、ホッとしましたが、母親の乳の出が悪く、ノエルは哺乳瓶だとうまく飲めないので、4時間ごとに注入器で授乳をして、ようやく離乳食を食べるようになり、実家に帰りました。

それから、13年、世間も変わり、子供達は一人前になり、デイックは2007年11月5日、ノエルは2008年2月25日に亡くなり、つらい思いをしましたが、ペットロスにならなかったのは、3匹のときは常にNo.3で、辛い思いをしていたモニカのおかげだと思っています。今は太りすぎから、心臓肥大、心臓弁膜症、脂肪浮腫をやんでおり、医療費がかかるのが、悩みですが、今まで、我慢してくれたお礼に面倒を見ています。是非、この夏の暑さを乗り切り、早く死んだノエルの分も長生きをして欲しいというのが家族全員の思いです。

モニカ頑ばれ!

2000年のデイック、モニカ、ノエル
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2011.7.30のモニカ
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ALS treatment by stem cell therapy succeeded
2011.7.26

ALS is one of worst incurable diseases. About 3000 patients in Japan are known to exist without any method for treatment. It is also known many patients are athletes especially soccer players who used their body very hard. The symptom of this disease is the melt down of nerves starting from legs or hands and deteriorated rapidly to other parts of body making unable to eat, drink or speak finally stop breathing and the movement of heart. Theoretically it was said stem cells therapy would be the final solution for this disease.

From the beginning of June this year, facilities for stem cells therapy was complete at Shengavit Medical Center in the capital of Armenia, Yerevan. The doctor who direct this medication is Dr.Hayk Minasyan, MD.,PhD. who is one of the pioneers of this therapy in East Europe. Actually in the final stage of development of technology of application to human beings he made a joint development in USA. So, his clinic in Yerevan is titled as American-Armenian Health Development Center.

One ALS patient from Japan, female 68 years old, tentatively named Mrs M visited Yerevan from July 2 to 14 in order to receive the doctors stem cells therapy. Dr.Minasyan had a confidence of efficacy of his SCs for ALS through the treatment of several ALS patients in Armenia on experimental treatments of this disease.

When Mrs M arrived at Yerevan and received the first medical examination by Dr Minasyan, her condition was near critical, no walking, almost near to stop drinking, eating and speaking. The progress of her ALS was rather speedy type, one year after the start of disease. After taking her blood and putted in
stem cells 63% of them died by the toxin in the blood and only 37% survived.

The survival of 37% was a good news for Dr Minasyan. Because those 37% obtained immunity against her toxins. Then he increased the number of stem cells from 100,000,000 to 150,000,000. Then he started preparation of her body to accept stem cells. Stem cells were injected intravenously considering the safetyfor the patient. One time number of 50,000,000 stem cells were injected and 3 times were finished.

He sent me a mail he believed in the success of treatment because her complexion turned from yellow pale to normal rosy face. She became easy to raise her hand to above head and became easy to drink, eat and speak.

According to her family, her condition is stable and she is very happy to be able to sleep 8 hours. Before treatment she could only sleep 5 hours because of uncomfortable feeling in her back muscles. It was felt being collapsed by ALS. She is looking forward to visit Yerevan for the second treatment in Autumn when the treatment would be more effective Dr Minasyan predict.

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日本から初めてのALS患者さんが再生医療治療を受けました
2011年7月21日(木)              晴れ

アルメニアの SHANGEVIT Medical Centerで再生医療治療がスタートしたという情報は6月30日に提供しましたが、
その後、日本から初めて、68歳女性の患者さんが、家族2名が同伴して、アルメニアを訪問し、10日間滞在し、再生医療治療を受け、先週末、無事、帰国しました。アルメニア到着後、現地でミナスやん博士の診察を受け、体の状態、ALSの進行状態などを正確に把握してから、まず、幹細胞が投与されたあと、患者本人の体に受け入れられ、治療効果が上がる為の受け皿作りの治療を行い、次いで、静脈経由で幹細胞を投与しました。細胞数は、3回合計で、1億5000万個という最高レベルの治療が行われました。

治療効果ですが、もし、2,3週間遅ければ、嚥下、会話も不可になる直前で、それらの症状は食い止められたようです。博士からの報告では、患者の顔色も黄色帯びていたのが、いきいきした顔色になり、腕も肩のレベルしか上がらな方のが頭まで上がるようになり、食べたりしゃべったりするのが、楽にできるようになった。時間が経つに従って、身体状態は改善するはずであるとのコメントでした。
帰国直後は、両足が腫れ、歩行困難な状態だったようで、心配しましたが、博士の見解は、長期の飛行機旅行によりエコノミー症候群の一種で、あまり心配する必要はない。利尿剤を日本の医師に処方してもらうように指示があり、マッサージも受けた結果、改善されて来たとの報告がありました。

もし、治療効果が確認できれば、世界で最初のALS治療の成功例です。なでしこジャパンに次ぐ快挙さと思います。
良く、勇気を持ってアルメニアでの治療を決断された、ご本人とご家族の英断に心から拍手を送ります。

患者さんも女性、随行された娘さんも女性。日本の女性の思い切った決断、行動力を何もできない日本の政治家達に学ばせてやりたい。

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プロフィール

MIKE

Author:MIKE
株式会社グリーン・メデイカル・システムズ 代表取締役、国際マーケテイングコンサルタント
日本アルメニア科学・文化・教育協会(JASEC)理事長
日本LPL療法普及協会 事務局長
アルメニアEJ大学 名誉教授

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